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ここ数年の間に,生物学の分野でまともな学術雑誌に掲載された論文は pdf 形式のファイルで入手できることが当たり前になってしまった。もはや図書室に行って論文をコピーする必要はなく,インターネットを通じて論文の pdf ファイルを取得し,それをコンピュータの画面で見ることができるのだから,便利になったものだ。コンピュータ画面だと,カラーの図もきれいに再現されて見ることができるし,拡大したり,あるいはテキスト検索することも可能なので,はるかに論文が読みやすくなった。日本でも,科学技術振興機構が日本政府の資金を得て,J-STAGE というシステムを数年前に発足し,国内の学会が発行している機関誌の電子化を進めるひとつの核になっている。
論文コピーを格納しておくファイリングキャビネットももはや必要ない。図書室の様相も,今後は徐々に多数の雑誌の論文ファイルを納めた巨大なディスクを持つコンピュータ・サーバーが,論文バックナンバーがずらりと並んだ書架にとってかわってゆくだろう。現在はまだ多くの雑誌が印刷版と電子版の併用をしているが,いずれは電子版だけの形式に移ってゆくと思われる。
電子ジャーナルの本質的な課題は,このようなハード面ではなく,経済面を中心とするソフト面である。雑誌の電子化が進むと,所属研究機関で機関購読している雑誌を個人購読していた研究者は,購読を中止するようになってゆくだろう。かつては,大きな大学の場合,歩いて何分もかかる中央図書館まで行くのが億劫だから,個人購読するという人もあっただろうが,同じ機関のインターネット・ドメインなら自由に機関購読している雑誌を自分の研究室のコンピュータで見ることができるようになった今,個人購読の必要性は減少するからだ。
学会の機関誌の場合には,学会費を支払うことには,学会の年次大会で発表するという権利も通常付与されているので,仮に電子雑誌化しても個人購読をやめる(退会する)という人はすぐには増えないだろう。しかし,機関誌を発行している学会では,多くの場合支出の大部分を機関誌の印刷配布が占めている。電子化して印刷しなくなったら,年会費を安くすべきだという意見が出てくる可能性がある。国内学会の場合には,年次大会で発表するという重要性から,この程度の問題で収まるだろうが,国際学会が発行する機関誌の場合には,学会の年次大会に参加するよりも,機関誌を購読している,という色合いが強い。このため,機関誌が成功して多数の研究機関が機関購読を始めるほど,個人購読が減少するという可能性がある。実際,私自身が,電子雑誌化する前に,ある国際誌を発行している国際的な学会を退会したことがある。この場合,図書室に行けば見ることができるからという理由だった。
この論理は,国際学会が発行している機関誌だけでなく,商業誌にもあてはまる。おそらくこのような危惧もあってだろう,最近は機関購読の場合の雑誌購読費が毎年どんどん上昇している。欧米の数社による国際学術雑誌の寡占化も,価格上昇に拍車をかけている。このような状況を憂慮した米国の大学図書館連合が,SPARC (Scholarly Publishing and Academic Resources Coalition) を結成し,多数の学会の機関誌を束ねることによって,出版の寡占化をはばみ,全体の購読料を安く押さえようとしている。日本でも,昨年国立情報学研究所に SPARC Japan が設置されて,活動が始まっている。また,米国では PLoS (Public Library of Science) という組織があらたに組織され,高いレベルの論文をオンラインで無料閲覧できるシステムが稼働を始めた。もちろん,すべての経路が無料ではなく,たとえば,PLoSBiology という雑誌に投稿する場合,高額の投稿料が要求されるようだ。
このように,電子ジャーナル化によって,生物学を含む自然科学の世界はどんどん変容している。過去5年間に生じた急速な変化を考えると,今後の5年間の変化も,おそらく大きなものになることは間違いないだろう。私にはそれを占う能力はないが,これもグローバル化の波のひとつだということは言えるだろう。
斎藤成也
国立遺伝学研究所 集団遺伝研究部門 教授
総合研究大学院大学 生命科学研究科 遺伝学専攻(併任)
Web http://sayer.lab.nig.ac.jp/~saitou/index-j.html
DDBJ スタッフコラム1 「電子ジャーナル化の波」
DDBJ メールマガジン No.12(2004年2月2日発行)
