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DDBJ メールマガジン No.19(2005年4月1日発行)西川 建
国立遺伝学研究所 大量遺伝情報研究室 教授
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今や生物学はゲノムの時代を迎え,DNA,遺伝子,遺伝情報といった用語はマスコミなどでもさかんに使われるようになった。 この中で遺伝情報という言葉に注目すると,「遺伝」はもちろん本来の生物学用語だが,「情報」という概念はかなり新しい。 ワトソン&クリックの DNA 二重らせんの発見によって始まった分子生物学の登場以降のことである。 しかし,分子生物学においても最初のうちは遺伝暗号(genetic code)という表現が好まれ,遺伝情報(genetic information)の方はかなり抵抗感があったようである。DNA の複製に始まり,転写,翻訳過程の大筋が次々と解明されていったのは,第2次世界大戦が終ってまだ10年余りという時代で,戦時用語としての暗号,暗号化(encode),暗号解読(decode)といった言葉の方に,より馴じみ深かったからかも知れない。 片や情報という言葉は,コンピュータの発展とともに社会に浸透するようになり,インターネットの普及とともに情報化社会に突入し,IT に代表されるようにインフォメーション(情報)はコンピュータの代名詞になってしまった。 奇しくも,コンピュータも戦時技術として,最初の真空管式計算機が発明され(齋藤成也氏の稿を参照),戦後になって半導体式計算機が登場し,今日の IC チップ集積型コンピュータへと発展してきた。 それとともに,情報処理,情報(データ)の伝達・転送,記憶媒体へのデータ格納などのコンピュータ用語が一般化し,「情報」は現代的な言葉として通用するようになった。 このような時代の趨勢を背景にして,生物学においても「遺伝情報」という用語が容認され,定着するようになったと考えられる。
ここで1つ言えることは,上記のような現代的な意味での「情報」はたかだか20世紀後半に現われた比較的新しい概念だということである。 もちろん日常語としての情報という言葉はそれ以前からあった。 たとえば,英語の information は旅行者にはお馴染みの「案内」や「受付」として使われる。 しかし,現代用語としての「情報」という概念はなかった。 その点を確かめるために,ジョージ・オーウエルの小説「1984年」を調べてみたことがある。 この小説は1948年に書かれおり,よく知られているように,当時はまだ「未来」であった1984年の様子を予想して描いた近未来小説である。 84年と48年の関係は一種のシャレだと思えばよいが,私にとって都合がよかったのは,この2つの年の関係が,20世紀前半(の最後)という時点から20世紀後半を予想した関係になっていた点である。 この小説では,ビッグブラザーと呼ばれる独裁者に支配される近未来社会が描かれている。 おもしろいことに,当時予見されたあらゆるハイテク監視装置を使って人民を統制する様子が書かれているにもかかわらず,案のじょう情報という言葉はまったく出てこない。 したがって,20世紀前半には情報という概念はなかったと言えるのである。
ところで,コンピュータの情報と生物における情報を比較してみると,両者で大きく異なる点がある。 コンピュータは大量の情報を処理し,記憶することができるが,入力情報(データ)を与え,出力情報を見て判断するのは,あくまでも我々人間である。 そもそもコンピュータをつくったのも人間だから,コンピュータに基づく情報が「情報というもの」であり,情報の典型だと思ってしまえば,情報とはしょせん人間のつくるものであり,人間を離れて情報は成立しないことになる。 世間では何となくそう思っている人が多いのではないだろうか。 しかし,分子生物学は生命現象の基底部に,人間の手を離れて成立する情報形態が存在することを明らかにした。 この点の重要性は,すでに20年余り前に渡辺慧によって次のように指摘されている。
『情報という観念なしには生命を理解できないということを教えてくれたという意味では,分子遺伝学の功績は大したものです。 ところで,情報というのは何かといえば,これは物理化学的な概念ではありません。 基礎的な物理化学にはそんな概念はありません。 ですから,分子遺伝学は,むしろ,概念的にも,法則的にも,(生命現象の物理化学への)還元論の不可能を教えてくれるものと評価すべきであります。』 (渡辺慧「生命と自由」岩波新書)
人間に先立って自然のうちに成立する情報が存在することを示した点で,遺伝情報の発見の意味は大きい。 上の引用で言われているように,情報は物質やエネルギーに還元することができない。 たとえば,情報はコピーされて,いくらでも自分と同じものを生みだすことができるが,物質やエネルギーにはそのような性質はない。 これまでの自然科学では,物質とエネルギーは自然を構成する要素だとされてきたが,それに加えて情報も基本的な要素の1つだとせねばならないことになる。 しかし,自然の中にあるといっても,情報はつねに生命と結びついており,生命現象と切り離しては存在できない,と言えそうである。 その意味で,非生命世界を対象としてきた物理学が物質とエネルギーを自然界の基本要素と見なしたのは妥当であり,物理学が化学をその支配下におくのに成功したにもかかわらず,なぜ生物学を取り込むことには失敗したのか,という理由も理解できる。 物理学が情報を自然界の基本要素の1つとして定式化できないかぎり,「生命の物理」(真の意味での生物物理学)は成立しないのである。
生命における情報は遺伝情報だけに限らない。 外界からの刺激を受容体でキャッチし,細胞内のシグナル伝達因子(タンパク質)を経て,遺伝子の発現を制御するシグナル伝達系も情報処理の一例であるし,動物の内分泌系(ホルモン)や免疫系も情報伝達や処理に関わるシステムである。 しかし,これらは遺伝子や遺伝情報から派生した二次的情報形態だと捉えることができる。 その意味で,遺伝情報は基本情報形態だと呼ぶことにしたい。 それでは,遺伝情報に匹敵するような基本情報形態は他にないだろうか。 私は脳神経系の情報と人間の言語も,遺伝情報とは異なる基本情報形態だと見なしてよいと考える。 たとえば,遺伝情報は生体高分子(核酸やタンパク質)を基盤とする情報だとすれば,脳神経情報は神経細胞(ニューロン)を基盤として,ニューロンの発する電気的インパルスをオン・オフ信号として用いるという点で,原理的に見ても遺伝情報とは異なる情報形態である。 さらに,人間の言語は脳を基盤とし,音声を信号として用いるという点で,前二者とはまったく異なる原理に基づいている。 言語は人間が創作したものではなく,生得的なもの(自然言語)とする見方はチョムスキーを引き合いに出すまでもなく,いまや常識であろう。 その意味で,言語も人間に先立つ情報形態としてよい。 人間は言葉を使うことによってあらゆる社会活動を行ない,文化を生み出してきた。 その中には科学も含まれるし,さらにはコンピュータも含まれる。 コンピュータによる情報処理がいくら華々しく見えても,あくまでも言語という基本情報形態から派生した二次的な情報形態にすぎないのである。
最初に述べたように,遺伝情報という概念は,歴史的にみるとコンピュータにおける情報との類似性から生物学に持ち込まれたと考えられる。 もしもコンピュータの発明が前世紀の半ばではなく,もっとずっと遅れていたなら,分子生物学において遺伝情報という概念が生まれたかどうか,非常に疑わしい。 言いかえると,歴史的偶然によって分子生物学は遺伝情報を「発見」したことになる。 だが,歴史的由来はともかく,ひとたび情報という要素を生命現象の中に認める立場に立ってみると,それまでの物質代謝・エネルギー代謝からなる生命という見方に加えて,情報によって規定される生命という側面が浮び上がってくる。 ゲノムとは生物個体のもつ遺伝情報の総体を指すが,ゲノムなくして細胞の活動はありえない。 同様に,脳神経系がなければ動物は成り立たないし,言語なくして類人猿から人間にはなりえなかったはずである。 このように,情報は生命体が生みだし,生命体に属するものに違いないが,逆に情報が生命体を規定し,成り立たせている関係にあることも忘れてはならない。
以上のように,情報という概念はまだ比較的新しく,十分練りあげられた概念とは思えない。 たとえば,物理学の対象である物質・エネルギーと情報はどういう関係に立つのか。 あるいは,人間の意識や精神,心とどういう関係にあるのか,といった問題である。 このような問題は,コンピュータの情報をいくら調べても答えは出てこないだろう。 基本情報形態である遺伝情報,脳神経情報,言語を相互に比較・検討することにより,情報の特性,物質・エネルギーや精神との関係性などが明らかになるのではないかと考える。
・・・といったところで,すでに予定の紙数をオーバーしてしまった。 この考察の続きは別の機会にゆずることにしたい。
