|
■USB には顔がある
愛用の USB フラッシュメモリにふと目をとめると,太い眉の下から円らな瞳が中空を見つめていました。
さらによく見ると鼻と口もあります(右の写真をご覧下さい)。
長いこと使っているのにちっとも気がつきませんでした。
念のため他の USB プラグを確認してみると,これまた顔に見立てられる穴と窪みがあるんです。
必要だから開けてある穴が,顔のような配置で並んでいるとは・・・これが用の美というものでしょうか。
違いますね。隔月公開の DDBJ メールマガジン第21号 web 版です。 メールマガジンに関するご質問やご意見がありましたら ddbjmag@ddbj.nig.ac.jp までどうぞ。
環境サンプル由来の塩基配列の登録が,近年,急増しています。
この状況に対応すべく,ENV division を新設しました。
この division は PCR,DGGE,あるいは,その他の方法で直接,分子を単離した環境上のサンプルに由来した配列を含みます。 これまでは,このカテゴリに該当する配列をそれぞれ由来生物種に基づく division,主として BCT に含めていましたが,今後はこのようなエントリを ENV division に分類します。 DDBJ では由来生物種に基づく division に混在している ENV division に該当するエントリを移行する作業を定期リリース 62 (2005 年 6月)から段階的に実施し,定期リリース 63 (2005 年9月) で移行を完了する予定です。 この間は ENV division 相当のエントリが他の division にも混在していますので,ご注意下さい。 division の説明はこのページの (5) をご覧下さい
DDBJ では全国各地で「DDBJing 講習会」を開催しています。
DDBJing 講習会は,塩基配列の登録方法や DDBJ が提供しているデータベース検索・解析サービスをユーザの方々により深く理解して利用していただく助けになることを目指しています。
6月8-9日に開催した第12回 DDBJing 講習会 in 三島の資料が ダウンロード できるようになりました。 塩基配列登録システム SAKURA を使った具体的な登録方法や,DDBJ が提供する検索解析サービスの検索例を含む資料ですので,講習会に参加されない方にも有効に使っていただくことのできる内容となっています。 どうぞご利用下さい。 [お詫び] 前回のメールマガジンで9月1-2日に東京農業大学で DDBJing 講習会を開催する旨ご案内いたしましたが,都合により同講習会は東京農大関係者のみを対象とし,一般募集は行なわないことになりました。 参加を予定されていらっしゃった方には,大変申し訳なく,深くお詫び申し上げます。 今後の予定はまだ計画段階ですが,会場の確保が可能であれば今年度中に東京での開催を検討しています。 開催が決定いたしましたらこのメールマガジンやホームページでご案内いたしますので,是非ご参加下さい。
getentry
は DDBJ が web サーバと E-mail サーバで提供するアクセッション番号などによるエントリ検索システムです。
7月14日に web 版 getentry 画面のレイアウトを変更しました。
変更箇所は以下の通りです。
機能に変更はありません。
どうぞご利用下さい。
DDBJ が管理・収集している塩基配列データベースは, リリースとして定期的に年4回オンライン上で公開しています。
6月30日に DDBJ リリース62 を完成しました。
リリース62 のエントリ数は 45,249,444,総塩基数は 49,158,155,283 塩基です。
この他に現在公開中のデータベースは以下の通りです。
本号一番最初の記事「ENV division 新設」にもありますように,今回のリリースより環境サンプル由来の配列格納する ENV division を開始しました。
FTP による定期リリースおよび新着データのダウンロードサイトは
こちらです。
・DDBJ date-----------DDBJで公開した日付
台湾の陽明 (Yang-Ming) 大学(7月6-8日)と NHRI (National Health Research
Institute) (7月11-12日)の2ケ所で International bioinformatics training
course を開催し,DDBJ スタッフ3名が講師を務めました。
内容は,分子進化に関する講議(舘野義男教授),分子系統学に関する講議(齋藤成也教授)と塩基配列データ登録システム SAKURA の使い方・データ検索システム(getentry,ARSA,SRS)や GTOP,H-Inv DB を主とした DDBJ が提供するサービスとツールに関する講議(Roberto Barrero 助手)で,講議には20-25名の,実習には10-15名の方が参加しました。 他の研究者からも同様の講議開催の要望があるため,International bioinformatics training course を開催する予定です。
![]() [写真左:陽明大学での様子・右:NHRI での様子]
国立遺伝学研究所
集団遺伝研究部門 の
隅山 健太 助手 が 4月より DDBJ のスタッフとなりました。
隅山助手は2003年3月に集団遺伝研究部門の助手に着任し,2005年4月より DDBJ の活動にも参加しています。
すでに3ヶ月以上経っていますが,隅山助手より着任の挨拶です。
「4月から DDBJ にお世話になっています。 しばらくお教え頂くことが多いと思いますが,よろしくお願い致します。 ユーザーとしての視点から,主にインターフェース改善に貢献できましたら幸いです。」
DDBJ が web 上で提供するキーワード検索システム
SF gate-WAIS と,
web および 数値計算サーバ minerva 上で提供している塩基配列・アミノ酸配列多重整列プログラム
malign は,利用者が減少していることと他のサービスで代替可能なことから,2005年9月30日をもってサービスを終了することになりました。
皆様にはご不便をお掛けすることになり誠に申し訳ございませんが何卒ご理解とご協力の程よろしくお願い申し上げます。 今後はキーワード検索には SRS や ARSA を, 多重整列には ClustalW (clustalw@nig.ac.jp) をご利用いただけると幸いです。 これまでご利用下さいましてありがとうございました。
DDBJ が提供している CAMUS Database と SSThread は,運用サーバを変更するため URL も変更になる予定です。
変更作業の日程や新しい URL はまだ決定していませんが,詳細が決まりましたら各サービスのページにおしらせを掲載いたします。
- CAMUS Database(圧縮 DB の BLAST 検索と多重整列 DB) - SSThread(3D-1D法を用いたタンパク質の二次構造予測)
鴎外と情報
舘野 義男 国語試験の解答のようであるが,我が国の近代文学を代表する作家として漱石と鴎外と答えても合格点は取れるだろう。 私は漱石の本は比較的よく読んだが,鴎外のほうは「阿部一族」や「高瀬舟」くらいしか覚えていない。 「舞姫」は追いていけず途中で投げ出し,「渋江抽斎」は難しすぎて,やはり放り出してしまった。 二十歳前後の頃だったか。 以来,何となく鴎外は苦手であった。 いや嫌いであったというべきか。 それが何故か分からないまま月日は経ってしまった。 ところが,先日,上山明博の「発明立国ニッポンの肖像」(文春新書)を読んで面白い事実に出会った。 ビタミンを最初に見つけた日本人の章に,鴎外が登場したのである。 そこには,以下のような,鈴木梅太郎と森林太郎の確執が記されていた。 この頃我が国は,日清・日露という未曾有の戦争に膨大なエネルギーを費やしていた。 ところがどういう訳か,陸軍の兵士には敵の弾よりも脚気で亡くなる者が多かった。 この深刻な問題は陸軍軍医総監であった森林太郎を悩ませたが,結局彼らをこの病気から救うことはできなかった。 いや,救う方法はあったのである。 海軍の医務局長であった高木兼寛が,英国留学の経験を生かして提案した経験則「麦飯や玄米を食べさせること」だった。 森はドイツ留学で医学を修めた人で,当時世界的な細菌学者であったロバート・コッホの影響を強く受けたといわれる。 従って,彼は,病気は細菌が原因で起こるという考えにこだわり過ぎたのかもしれない。 脚気もまた細菌が原因と強く信じ,高木の経験則を無視した。 事実,海軍は麦飯を奨励したので,ほとんどの海軍兵は脚気に患らなかったが,陸軍は無論採用しなかった。 日清・日露両戦争での戦死者は4万9千人だったのに対し脚気患者は25万人(内死者3万人)という記録がある。 全ての脚気患者は,権威を被った固陋の犠牲者であった。 森の責任は重大であったが,やはり権威が隠蔽したといえよう。 後に,やはりドイツ留学を果した梅太郎は,米糠からオリザリン(今ではビタミンB1と呼ばれる)を抽出し脚気の特効薬を開発した。 しかし,当時臨時脚気病調査会の初代会長であった森は,細菌説にこだわりこれを黙殺した。 当時の医学会も森に倣った。 かくして,梅太郎は世界初のビタミン発見者の名誉に浴することはなかった。 ただ,梅太郎は1911年にこの発見をドイツの学術誌に発表したが,不幸にして彼の小論文は注目されることはなかった。 そのたった4ヶ月後,ポーランドのカシミール・フンクが同じような発見を英国の生化学誌に発表し,発見した物質をビタミンと名付けた。 今でも世界的にはビタミンの発見者は梅太郎ではなくフンクとされている。 森林太郎は,自分は作家でなく医者だと信じていたようである。 しかし,彼の意に反して,世間には林太郎より鴎外という名のほうがよく知られるようになった。 いづれにしても,彼の著業は,精魂込めて執筆を続けた漱石の域に到達しなかったのかも知れない(そう言えば,漱石も,高木と同じように,英国に留学したのだった)。 鴎外はしかし,若い頃の下宿先だった西周の影響を受けたせいか,語学に極めて堪能であった。 西は「科学」,「技術」,「学術」,「芸術」,「哲学」などという訳語を次々に生み出した人としても知られる。 そして,鴎外は,彼に倣ってか,情勢の報告という意味から「情報」という言葉を考え出した。 Information の訳語として「情報」が充てられたのは後のことだろう。 ddbjmag@ddbj.nig.ac.jp
この DDBJ メールマガジンは国立遺伝学研究所内の方と,所外の希望者に配信しています。 配信希望・変更・不要の方は,画面右上の「申込み・変更」ボタンをクリックするか,次のメールアドレスまでご連絡下さい: ddbjmag@ddbj.nig.ac.jp
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
Last modified: Oct. 07, 2011
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||