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1949
国立遺伝学研究所創立
文部省所轄研究所として設置
庶務部及び3研究部で発足
初代所長には、小熊捍が就任 -
1953
DNA 二重らせん構造発見(Watson-Crick)
遺伝暗号が3個の塩基配列であることを解明(Brenner)
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1968
分子進化の中立説(木村資生)
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1973
遺伝子組み換え技術の確立(Cohen-Boyer)
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1977
DNA 塩基配列決定法の確立(Maxam-Gilbert)
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1980
EMBL がデータライブラリー設置
計算機は、中型機 FACOM M150F(計算速度は FACOM M380 の約1/50)
外部からの接続は不可 -
1981
データバンクの必要性が論じられ、各国で収集が始まる
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1983
DNAデータバンクの遺伝研への設置が決定
日本での組織作りが検討され、国内でDNAデータの配布や管理を行うデータバンク運営委員会設置。S59年度に遺伝研が共同利用研究機関に変更される際に、データの配布や管理を行うセンターの遺伝研への設置が決定
五條堀(丸山研究室)・舘野(木村研究室)が遺伝研研究員に -
1984
進化遺伝研究部門 DDBJ 業務を部分的に開始
約4400遺伝子 約370万塩基
(丸山・五條堀) -
1985
丸山・五條堀が DDBJ 業務を積極的に進める
[業務内容]
- 希望者へのデータ配布( GenBank, EMBL, NBRF, DDBJ )媒体は8インチフロッピーまたは磁気テープ
- 遺伝子名、キーワード棟のリスト配布
- 解析プログラムの提供(計算機資源の提供は無し)
米国で開発されたDNA配列検索とアラインメントプログラムが日本で初めて富士通 F160M で稼働
ニュースレターNo1 発行
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1986
遺伝情報研究センターに設立された遺伝情報分析研究室がこの年より DDBJ 業務を担当
業務を担当するコンピューターが認められる
遺伝情報分析研究室に宮沢三造就任
データ入力作業開始(当初は GenBank フォーマット)
データ作成、入力作業は日立ソフトに外注
データは、日本で出版される学術雑誌と日本の研究者が主体となって発表される論文から抽出
この時から、 “Annotator” という言葉が使われている -
1987
遺伝情報研究センター棟竣工
(FACOM M-380Q) 運用開始。公衆回線(電話、パケット)によるサービス開始
DDBJ リリース1 完成
66エントリ・108970 塩基
当初は DDBJ で入力したデータのみ電話回線、パケット回線による DDBJ へのオンラインアクセス可能に
遺伝情報研究センター長 丸山毅夫教授死去
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1988
ヒトゲノム計画のスタート
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1989
DDBJ/EMBL/GenBank データバンク会議を三島で開催
研究者自身によるデータ入力支援ソフトウェア( Authorin )が完成
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1991
富士通製 FACOM M-770/10UTS の運用開始
CPU の演算能力が2倍に、ディスク容量7.5 -->20ギガバイト
組織再編により五條堀がデータバンク長に就任
その他のメンバーは、舘野(データバンク業務担当) 斎藤(広報担当)、鵜川(データベース運営担当)、林田(ソフトウェア開発担当)
データ登録はフロッピーやメールなどで受付(提供したサブミッションフォームの形でデータ作成)データ配布は磁気テープ(希望者がテープを DDBJ に送り、コピーして返送)
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1992
Release10 公開
今回より GenBank/EMBL のデータも含めた形となり、名実ともに「国際DNAデータベース」となった
59,233 エントリ・77,701,394 塩基
Feature Table 中のfeatrue key もGenBank/EMBL と共通のものを使用
News Letter の英語版を開始データバンク長に舘野義男が就任
内部組織を改編し、データバンク事務局、データバンク情報局、データバンク運営局を置く
スタッフ(教員)は、池尾、鵜川、北上、五條堀、斎藤、舘野、山崎 -
1993
DDBJ Release12 公開
リリースの頻度を 2回/年 --> 4回/年に
当時のデータバンクの運営費は、 GenBank:54億、EMBL:約35億、DDBJ:2億(コンピュータリース代、人件費も含む)日本学術会議遺伝学研究連絡委員会報告(日本 DNA データバンクの整備拡充の緊急性について)
DDBJ/GenBank/EMBL の事業規模の比較における DDBJ の年間予算の少なさ、国際貢献度に低さに対し、研究事業費、コンピュータレンタル料の確保、スタッフの増員など、 DDBJ の早急な整備・拡充の必要性が唱えられた
特許データの取り込み開始
blast メールサーバの運用開始
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1994
DDBJ の WWW 運用開始
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1995
生命情報研究センター内に移動
国立遺伝学研究所に生命情報研究センター (CIB; Center for Information Biology)が 設置され(センター長:五條堀孝)、DDBJ は CIB に移動
WWWによる、FASTA, BLAST, SAKURA(塩基配列登録システム)運用開始
blast(相動性検索)
SAKURA(塩基配列登録システム) -
1996
電子計算機棟の竣工・スーパーコンピュータの導入
汎用計算機(Fujitsu VPX/210/10S) から スーパーコンピュータ(富士通 VPP500/40 :主記憶 40GB, 磁気ディスク330GB) に
主システムに加えて、相同性検索サーバ等の各サービス用サーバも導入国際実務者会議が三島で開催(4/15 - 4/19)
DDBJ のアクセッション番号が現在の形(アルファベット2文字+6桁の数字)に
生命情報研究センター棟が完成し研究実験棟より引っ越し(現在に至る)
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1997
WWW による様々なサービスの提供開始
ホームページを一新
データベース検索(getentry, TXSearch, GIB, 相同性検索、PDB Retriever)、データ解析(ClustalW, malign) などの提供開始し、各サービスで次々に機能拡張や検索対象データベースの増加など、www サービスの充実が図られる
スーパーコンピュータについてもホームページで紹介(1997年当時のDDBJ担当教員は、五條堀、舘野、西川、菅原、斎藤、池尾、今西、深海、宮崎、太田)
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1998
線虫全ゲノムの塩基配列決定
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1999
SRS(Sequence Retrieval System:キーワード検索システム)のウェブ公開開始
第12回国際実務者会議を三島で開催(4/19-22)
ヒトゲノム計画の一環として 22番染色体解読
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2000
ヒト21番染色体のシークエンシング完了
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2001
生命情報研究センターから生命情報・DDBJ研究センターへ改称
登録データのデータベース編集システム Tsunami の完成公開塩基数100億突破
DDBJ/EMBL/GenBank 国際塩基配列データベースとして DDBJ から公開し多層塩基数が100億bpを超える(2000.09.25: 総塩基数 : 10,006,156,465 bp ,エントリー数 : 8,614,133)
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2002
DDBJHPのデザインとロゴ更新
DDBJメールマガジン配信開始
第15回国際実務者会議を三島で開催(5/20-22)
マウスゲノムドラフト配列公開
公開塩基数200億突破
総塩基数: 20,034,081,266 bp, エントリ数: 17,240,418
WGSデータ公開開始
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2003
ヒトゲノム全配列読解完了宣言
ヒトゲノム全配列読解完了を小泉首相(当時)に報告する研究者たち
左から3人目が榊佳之プロジェクトリーダー(国際シンポジウム講演者 関連動画)
右から2番目がDDBJの菅原英明教授(当時)
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2005
ARSA(キーワード検索システム)の試験運用開始
高速XML型データベースエンジンを使用
検索対象はDDBJ定期リリースと新着データのみ
毎日夜間にデータ更新のため中断
第18回国際実務者会議を三島で開催(5/16 - 18)
次世代シーケンサーの登場(Genome Analyzer:Illumina社)
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2007
スパコンシステムの新システムへの更新
DDBJ フラットファイルの書式変更
DDBJ フラットファイルのE-mailアドレス、電話番号、FAX番号の非表示化
DDBJHPのデザイン、ロゴ変更
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2008
SRAデータの受付、NCBI SRA への仲介登録を試験的に開始
第21回国際実務者会議を三島で開催(5/20 - 22)
Trace Archive の受付・公開開始
E-mail による検索サービス終了
SRS終了 -
2009
DDBJ CIB-DDBJ センター長の交代
新センター長に菅原秀明が就任
DDBJ CIB-DDBJセンター長の交代
新センター長に大久保公策が就任
DDBJ Sequence Read Archive(DRA),DDBJ Trace Archive(DTA) ウェブサイト開設
JST-BIRD事業の資金援助を受けてSRAデータ登録・公開システムの開発を開始
DDBJ 運営スタッフの大幅な異動
DBCLS との連携を強化
担当教員:大久保、高木、中村、小笠原、神沼 -
2010
日本人の個人ゲノム配列が公開
理化学研究所 ゲノム医科学研究センター による、国際ハップマッププロジェクト で用いられた日本人男性の全ゲノム配列の解析
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2011
東北大震災発生
原発事故による計画停電の影響によりスパコンシステムの長期停止や各種サービスの断続的稼働等、DDBJにも大きな影響を及ぼした
第24回国際実務者会議開催(5/23 - 27)
2011.03.11 に発生した東北大震災の福島原子力発電所事故による電力不足の懸念等により大阪で開催された
BioProject ウェブサイト開設
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2012
遺伝研スパコンシステムの更新
DDBJ の改組
CIB-DDBJ から独立し、「DDBJ センター」として国立遺伝学研究所の事業系センター(共同利用事業センター)のひとつに
センター長に高木利久が就任DDBJホームページのデザインとロゴの更新
冨田勝教授の個人ゲノム配列が DRA より公開
Web 版塩基配列登録システム 運用開始
SAKURA でのデータ登録受付終了
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2013
JSTと共同でヒトの制限公開データベース(JGA) の運用開始
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2014
第27回国際実務者会議を三島で開催(5/20 - 22)
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2015
DBCLS/NBDC/PDBj/DDBJ 合同講習会(All-in-one 合同講習会)を開催
日本の基盤的生命科学データベースの構築・管理・運営を担っているバイオサイエンスデータベースセンター(NBDC),ライフサイエンス統合データベースセンター(DBCLS),日本蛋白質構造データバンク(PDBj),日本 DNA データバンク(DDBJ)が、第1回の合同講習会を開催(7/18 大阪)
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2017
第30回国際実務者会議を三島で開催(5/24 - 26)
国際シンポジウム開催(5/27 - 29)
シンポジウムで講演する高木センター長
DDBJ担当教員:高木、中村、有田、大久保、小笠原、神沼、原、川島