DDBJ 30年の歩み

  • 静岡新聞連載
    「遺伝子バンク30年」第1回

    世界の DNA データ集約

  • 1949(昭和24)

    国立遺伝学研究所創立

    文部省所轄研究所として設置
    庶務部及び3研究部で発足
    初代所長には、小熊捍が就任

  • 静岡新聞連載
    「遺伝子バンク30年」第2回

    学閥離れゼロから出発

  • 1953(昭和28)

    DNA 二重らせん構造発見(Watson-Crick)

  • 1953(昭和28)

    遺伝暗号が3個の塩基配列であることを解明(Brenner)

  • 1968(昭和43)

    分子進化の中立説(木村資生)

  • 1973(昭和48)

    遺伝子組み換え技術の確立(Cohen-Boyer)

  • 1977(昭和52)

    DNA 塩基配列決定法の確立(Maxam-Gilbert)

  • 1980 (昭和55)

    EMBL がデータライブラリー設置

  • 1981(昭和56)

    データバンクの必要性が論じられ、各国で収集が始まる

  • 静岡新聞連載
    「遺伝子バンク30年」第3回

    データの処理が課題に

  • 静岡新聞連載
    「遺伝子バンク30年」第4回

    改組前に”目玉”求める

  • 1983(昭和58)

    DNAデータバンクの遺伝研への設置が決定

    日本での組織作りが検討され、国内でDNAデータの配布や管理を行うデータバンク運営委員会設置。S59年度に遺伝研が共同利用研究機関に変更される際に、データの配布や管理を行うセンターの遺伝研への設置が決定
    五條堀(丸山研究室)・舘野(木村研究室)が遺伝研研究員に

  • 静岡新聞連載
    「遺伝子バンク30年」第5回

    木村氏中心に体制構築

  • 1984(昭和59)

    進化遺伝研究部門 DDBJ 業務を部分的に開始

    約4400遺伝子 約370万塩基
    (丸山・五條堀)

  • 静岡新聞連載
    「遺伝子バンク30年」第6回

    密接な学者の関係 礎に

  • 1985(昭和60)

    丸山・五條堀が DDBJ 業務を積極的に進める

    [業務内容]

    • 希望者へのデータ配布( GenBank, EMBL, NBRF, DDBJ )媒体は8インチフロッピーまたは磁気テープ
    • 遺伝子名、キーワード棟のリスト配布
    • 解析プログラムの提供(計算機資源の提供は無し)

    米国で開発されたDNA配列検索とアラインメントプログラムが日本で初めて富士通 F160M で稼働

    ニュースレターNo1 発行

  • 1980(昭和55)

    計算機は、中型機 FACOM M150F(計算速度は FACOM M380 の約1/50)
    外部からの接続は不可

  • Jan 1986(昭和61/1)

    遺伝情報研究センターに設立された遺伝情報分析研究室がこの年より DDBJ 業務を担当

  • 1986(昭和61)

    業務を担当するコンピューターが認められる

  • Dec 1986(昭和61/12)

    遺伝情報分析研究室に宮沢三造就任

    データ入力作業開始(当初は GenBank フォーマット)
    データ作成、入力作業は日立ソフトに外注
    データは、日本で出版される学術雑誌と日本の研究者が主体となって発表される論文から抽出
    この時から、 “Annotator” という言葉が使われている

  • 静岡新聞連載
    「遺伝子バンク30年」第7回

    人材と予算確保に苦慮

  • Feb 1987(昭和62/2)

    遺伝情報研究センター棟竣工

  • 静岡新聞連載
    「遺伝子バンク30年」第8回

    最新計算機導入に腐心

  • Mar 1987 (昭和55/03)

    (FACOM M-380Q) 運用開始。公衆回線(電話、パケット)によるサービス開始

  • Jul 1987(昭和62/07)

    DDBJ リリース1 完成

    66エントリ・108970 塩基
    当初は DDBJ で入力したデータのみ

  • Nov 1987(昭和62/11)

    電話回線、パケット回線による DDBJ へのオンラインアクセス可能に

  • Dec 1987 (昭和62/12)

    遺伝情報研究センター長 丸山毅夫教授死去

  • 静岡新聞連載
    「遺伝子バンク30年」第9回

    丸山センター長が急死

  • 1988(昭和63)

    ヒトゲノム計画のスタート

  • 静岡新聞連載
    「遺伝子バンク30年」第10回

    ヒトゲノム計画が加速

  • 1989 (平成元)

    DDBJ/EMBL/GenBank データバンク会議を三島で開催

  • 1989 (平成元)

    研究者自身によるデータ入力支援ソフトウェア( Authorin )が完成

  • Jul 1991 (平成3/01)

    組織再編により五條堀がデータバンク長に就任

    その他のメンバーは、舘野(データバンク業務担当) 斎藤(広報担当)、鵜川(データベース運営担当)、林田(ソフトウェア開発担当)

  • Mar 1991(平成3/03)

    富士通製 FACOM M-770/10UTS の運用開始

    CPU の演算能力が2倍に、ディスク容量7.5 -->20ギガバイト

  • 静岡新聞連載
    「遺伝子バンク30年」第11回

    拠点の受け入れを拒否

  • 静岡新聞連載
    「遺伝子バンク30年」第12回

    予算減で存続の危機に

  • 静岡新聞連載
    「遺伝子バンク30年」第13回

    共同利用の役割 意識せず

  • 静岡新聞連載
    「遺伝子バンク30年」第14回

    ユーザーによる登録へ

  • Jul 1991 (平成3/07)

    データ登録はフロッピーやメールなどで受付(提供したサブミッションフォームの形でデータ作成)データ配布は磁気テープ(希望者がテープを DDBJ に送り、コピーして返送)

  • Jan 1992 (平成4/01)

    Release10 公開

    今回より GenBank/EMBL のデータも含めた形となり、名実ともに「国際DNAデータベース」となった
    59,233 エントリ・77,701,394 塩基
    Feature Table 中のfeatrue key もGenBank/EMBL と共通のものを使用
    News Letter の英語版を開始

  • Apr 1992 (平成4/04)

    データバンク長に舘野義男が就任

    内部組織を改編し、データバンク事務局、データバンク情報局、データバンク運営局を置く
    スタッフ(教員)は、池尾、鵜川、北上、五條堀、斎藤、舘野、山崎

  • Jan 1993 (平成5/01)

    DDBJ Release12 公開

    リリースの頻度を 2回/年 --> 4回/年に
    当時のデータバンクの運営費は、 GenBank:54億、EMBL:約35億、DDBJ:2億(コンピュータリース代、人件費も含む)

  • May 1993 (平成5/05)

    日本学術会議遺伝学研究連絡委員会報告(日本 DNA データバンクの整備拡充の緊急性について)

    DDBJ/GenBank/EMBL の事業規模の比較における DDBJ の年間予算の少なさ、国際貢献度に低さに対し、研究事業費、コンピュータレンタル料の確保、スタッフの増員など、 DDBJ の早急な整備・拡充の必要性が唱えられた

  • Jul 1993 (平成5/07)

    特許データの取り込み開始

  • Dec 1993 (平成5/12)

    blast メールサーバの運用開始

  • Dec 1994 (平成6/12)

    DDBJ の WWW 運用開始

  • Jul 1995(平成7/04)

    生命情報研究センター内に移動

    国立遺伝学研究所に生命情報研究センター (CIB; Center for Information Biology)が 設置され(センター長:五條堀孝)、DDBJ は CIB に移動

  • Dec 1995(平成7/12)

    WWWによる、FASTA, BLAST, SAKURA(塩基配列登録システム)運用開始

    blast 画像
    blast(相動性検索)
    SAKURA 画像
    SAKURA(塩基配列登録システム)

  • 静岡新聞連載
    「遺伝子バンク30年」第15回

    大量データ時代の夜明け

  • Mar 1996 (平成8/03)

    電子計算機棟の竣工・スーパーコンピュータの導入

    汎用計算機(Fujitsu VPX/210/10S) から スーパーコンピュータ(富士通 VPP500/40 :主記憶 40GB, 磁気ディスク330GB) に
    主システムに加えて、相同性検索サーバ等の各サービス用サーバも導入

  • Apr 1996 (平成8/04)

    国際実務者会議が三島で開催(4/15 - 4/19)

  • Dec 1996 (平成8/12)

    DDBJ のアクセッション番号が現在の形(アルファベット2文字+6桁の数字)に

  • Dec 1996 (平成8/12)

    生命情報研究センター棟が完成し研究実験棟より引っ越し(現在に至る)

  • Dec 1997 (平成9/12)

    WWW による様々なサービスの提供開始

    ホームページを一新
    データベース検索(getentry, TXSearch, GIB, 相同性検索、PDB Retriever)、データ解析(ClustalW, malign) などの提供開始し、各サービスで次々に機能拡張や検索対象データベースの増加など、www サービスの充実が図られる
    スーパーコンピュータについてもホームページで紹介(1997年当時のDDBJ担当教員は、五條堀、舘野、西川、菅原、斎藤、池尾、今西、深海、宮崎、太田)
    DDBJ HP の画像
    DDBJ のロゴ

  • Dec 1998 (平成10/12)

    線虫全ゲノムの塩基配列決定

  • Mar 1999 (平成11/03)

    SRS(Sequence Retrieval System:キーワード検索システム)のウェブ公開開始

    SRS の画像

  • Apr 1999 (平成11/04)

    第12回国際実務者会議を三島で開催(4/19-22)

  • Dec 1999 (平成11/12)

    ヒトゲノム計画の一環として 22番染色体解読

  • May 2000 (平成11/05)

    ヒト21番染色体のシークエンシング完了

  • Jan 2001 (平成12/01)

    生命情報研究センターから生命情報・DDBJ研究センターへ改称
    登録データのデータベース編集システム Tsunami の完成

  • Jan 2001 (平成12/01)

    公開塩基数100億突破

    DDBJ/EMBL/GenBank 国際塩基配列データベースとして DDBJ から公開し多層塩基数が100億bpを超える(2000.09.25: 総塩基数 : 10,006,156,465 bp ,エントリー数 : 8,614,133)

  • Jan 2001(平成13/01)

    DDBJHPのデザインとロゴ更新

    DDBJ HP 画像
    DDBJ ロゴ

  • May 2002(平成14/05)

    DDBJメールマガジン配信開始

  • May 2002(平成14/05)

    第15回国際実務者会議を三島で開催(5/20-22)

  • May 2002(平成14/05)

    マウスゲノムドラフト配列公開

  • May 2002(平成14/05)

    公開塩基数200億突破

    総塩基数: 20,034,081,266 bp, エントリ数: 17,240,418

  • Jul 2002(平成14/07)

    WGSデータ公開開始

  • ヒトゲノム全配列読解完了宣言

    ヒトゲノム全配列読解完了を小泉首相(当時)に報告する研究者たち
    左から3人目が榊佳之プロジェクトリーダー(国際シンポジウム講演者 関連動画
    右から2番目がDDBJの菅原英明教授(当時)
    ヒトゲノム全配列読解完了宣言の記念写真

  • 2005(平成17)

    ARSA(キーワード検索システム)の試験運用開始

    高速XML型データベースエンジンを使用
    検索対象はDDBJ定期リリースと新着データのみ
    毎日夜間にデータ更新のため中断
    ARSA の画像

  • 2005 (平成17/05)

    第18回国際実務者会議を三島で開催(5/16 - 18)

    ICM の写真2

  • 2005(平成17)

    次世代シーケンサーの登場(Genome Analyzer:Illumina社)

  • Mar 2007 (平成19/03)

    スパコンシステムの新システムへの更新

  • 2009 (平成20)

    DDBJ CIB-DDBJ センター長の交代

    新センター長に菅原秀明が就任

  • Aug 2007 (平成19/08)

    DDBJ フラットファイルの書式変更

    DDBJ フラットファイルのE-mailアドレス、電話番号、FAX番号の非表示化

  • 2007(平成19/10)

    DDBJHPのデザイン、ロゴ変更

    HP 2007 の画像
    logo 2007

  • 2008(平成19)

    SRAデータの受付、NCBI SRA への仲介登録を試験的に開始

  • Apr 2009(平成20/04)

    DDBJ CIB-DDBJセンター長の交代

    新センター長に大久保公策が就任

  • 2008(平成19)

    第21回国際実務者会議を三島で開催(5/20 - 22)

    第21回国際実務者会議の写真

  • 2008(平成19)

    Trace Archive の受付・公開開始

  • 2008(平成19)

    E-mail による検索サービス終了
    SRS終了

  • 2009(平成20)

    DDBJ Sequence Read Archive(DRA),DDBJ Trace Archive(DTA) ウェブサイト開設

    JST-BIRD事業の資金援助を受けてSRAデータ登録・公開システムの開発を開始
    dra のウェブサイトの画像

  • 2009(平成20)

    DDBJ 運営スタッフの大幅な異動

    DBCLS との連携を強化
    担当教員:大久保、高木、中村、小笠原、神沼

  • Sep 2010(平成21/09)

    日本人の個人ゲノム配列が公開

    理化学研究所 ゲノム医科学研究センター による、国際ハップマッププロジェクト で用いられた日本人男性の全ゲノム配列の解析

  • 2011(平成22)

    東北大震災発生

    原発事故による計画停電の影響によりスパコンシステムの長期停止や各種サービスの断続的稼働等、DDBJにも大きな影響を及ぼした

  • 2011(平成22)

    第24回国際実務者会議開催(5/23 - 27)

    2011.03.11 に発生した東北大震災の福島原子力発電所事故による電力不足の懸念等により大阪で開催された
    第24回国際実務者会議の写真

  • 2011(平成22)

    BioProject ウェブサイト開設

  • 2012(平成23)

    遺伝研スパコンシステムの更新

  • 2012(平成23)

    DDBJ の改組

    CIB-DDBJ から独立し、「DDBJ センター」として国立遺伝学研究所の事業系センター(共同利用事業センター)のひとつに
    センター長に高木利久が就任

  • Jul 2012(平成23/07)

    冨田勝教授の個人ゲノム配列が DRA より公開

  • Oct 2012(平成24/10)

    Web 版塩基配列登録システム 運用開始

    SAKURA でのデータ登録受付終了

  • May 2013(平成25/05)

    DDBJホームページのデザインとロゴの更新

    HP の画像

  • 2013(平成25)

    JSTと共同でヒトの制限公開データベース(JGA) の運用開始

    JGA のロゴ

  • 2014(平成26)

    第27回国際実務者会議を三島で開催(5/20 - 22)

    第27回国際実務者会議の写真

  • July 2015(平成27/07)

    DBCLS/NBDC/PDBj/DDBJ 合同講習会(All-in-one 合同講習会)を開催

    日本の基盤的生命科学データベースの構築・管理・運営を担っているバイオサイエンスデータベースセンター(NBDC),ライフサイエンス統合データベースセンター(DBCLS),日本蛋白質構造データバンク(PDBj),日本 DNA データバンク(DDBJ)が、第1回の合同講習会を開催(7/18 大阪)

  • 2017(平成29)

    第30回国際実務者会議を三島で開催(5/24 - 26)

    第30回国際実務者会議の写真

  • 2017 (平成29)

    国際シンポジウム開催(5/27 - 29)

    シンポジウムで講演する高木センター長
    高木センター長の写真
    DDBJ担当教員:高木、中村、有田、大久保、小笠原、神沼、原、川島

  • 静岡新聞連載
    「遺伝子バンク30年」第16回

    適切な整理・活用が課題